林酒造217年、林医院100年

林酒造は、創業文化3年、初代森蔵-2代目恭蔵-3代目森蔵。明治40年、全国初めての清酒品評会で、名だたる灘の酒を抑えて、竹原藤井酒造「龍勢」に次いで、当「三谷春」が、全国2位となる。3代目の子供は、11人女ばかりで、医師である一真(森蔵に改名)を婿に迎え、その4代目森蔵が名義上の社長となり、林酒造裏口側に、大正12年「林医院」開設。実に63年間地域医療に携わる。林酒造の実質的経営は、3代目森蔵の8女の里が行う。森蔵と里の間には、女の子1人で、医師である剛吉を婿に迎え、森蔵なき後は、5代目剛吉となる。剛吉は、昭和40年に広島市内で現林病院開設。林酒造実質的経営は里が、平成5年迄携わる。4代目森蔵は、昭和62年、不治の病となり、5代目剛吉長男の、英紀が大阪大学から呼び戻される。英紀は、当時骨軟部悪性腫瘍の権威で、外国の大学の客員教授や、世界患肢温存学会東洋地区会長なども努めていたが、地域医療に転身する。平成31年に5代目剛吉が亡くなり、英紀が6代目社長となり、現在に至る。 

 お祝いをしたいのですが、またコロナが蔓延していますので、医療に携わる、私として現在、考慮中です。